やらまい勝っちゃん

聖隷浜松病院副院長兼総看護部長 勝原裕美子のブログ

2007年11月05日

「ダイアローグ:対立から共生へ、議論から対話へ」

(デヴィッド・ボーム著、金井真弓訳)英治出版 2007

 

「シンクロニシティ」とシンクロナイズされ同時発売された本。 本書の内容を象徴的に表す事例としては、20世紀を代表する2人の物理学者、アインシュタインとボーアの関係性(p.96-98)がわかりやすい。2人は学者として互いを尊敬し活発な議論を交わしてきた。しかし、アインシュタインは相対論、ボーアは量子論の見解を頑として譲ることができなかった。友好的に何度も議論を戦わせるが、妥協をみないとわかったとき、2人の間の溝は深まり対話はなくなった。 本書は、「一貫性のないこと:インコヒーレント」の真の理解が「一貫性のあること:コヒーレント」のさらなる真の理解につながることを述べている。先の2人の学者が、自分と相手とは異なる存在として認識することはインコヒーレントである。自分も相手も正しいという真実合戦を認めるとき、意味の共有は図れないとボームはいう。2人がここで対話を続けていけば、つまりそれぞれの真実の主張ではなく、自分たちの意見を保留して意味のコヒーレントを図る努力を続けていけば、相対論と量子論を越えた新しい理論にたどりつくこともありえたというのである。 世の中にみられる多様な見解について、人は新たな調和を求めようとするが、いったんコヒーレントな状態になると、そこにまたインコヒーレントに敏感な人が反応する。「コヒーレンスへの動きは人間本来のものと思われるが、思考のせいで混乱させられている。きわめてインコヒーレントな反応は、記憶のプログラムの中に存在する。それをどうやって突き止めたらいいのか、どんな意味があるのかわからない」(p.165

 ある価値観や真実(だと思われていること)に固執するというインコヒーレンスは危険だが、真のコヒーレントは暗黙の領域から生まれるという。ピーター・センゲの解説の言葉を借りれば、「核となる問題は、変化する世界の中での共存方法を我々が知らないということ」である。だからこそ、我々には意味の共有をはかるための議論と対話が欠かせない。

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by admin|2007年11月05日 00:00|コメント (0) トラックバック (1)