年度末の3月31日を迎えた。
浜松に来てちょうど一年。
あっという間だった。
周りの皆さんに支えられて無事過ごせたことに感謝。
前看護部長と、前前看護部長のお二人に
今宵はフラワーパークの夜桜に誘っていただいた。
桜の木々の大きさにびっくり。
きっと桜の精が宿っているのだろう。
桜にぐるりと囲まれながら、いろいろ誓うことがある。
明日からは、2年目の一歩。
2008年03月
丸一年
夢をつなぐ
昨日、兵庫県立大学看護学部では、大きなイベントがいくつもあった。
中でも、兵庫県立看護大学の学長を開学より務め、
兵庫県立大学への統合を果たし、
それと同時に開設された地域ケア開発研究所の所長を務めてこられた
南裕子先生の定年退職最終講義には大勢の人々が集まった。
最終講義のタイトルは
「看護と看護学の発展とともに -先輩・仲間・後輩と夢をつないで」
これまでの歩みをスライドで紹介された。
若いときに持った夢を着実に実現させるべく、
その時々に出会った人々のことや、当時の気持ちを述べられた。
最後には、
これからは生涯かけて「やさしさ」の研究をしたいとおっしゃった。
看護にはサイエンスの部分も大切なので、
今までは看護師を「やさしい」とだけ評価されることには抵抗を持ってきたが、
やっぱり、やさしくなければいけないと思い直していると述べられた。
これだけ看護者の社会的地位の向上、看護学の発展、看護の国際化に寄与されてきた先生が
定年にあたって述べられた「やさしさ」への思いは、深く確かだと感じた。
まだ、ICN(国際看護師学会)会長としての任も残っておられる。
生涯現役をモットーとしている先生には
まだまだ発信し続けてほしいと思うが、ひとまず、本当にご苦労様でした。
さまざまな教えを乞うた一人として
その教えのすべてに感謝し、先生に出会えた幸運をあらためて大切にしたいと思いました。
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ようこそ聖隷浜松病院に
今日は朝から、4月採用者の看護部オリエンテーション
7時30分から続々と集まってくる。
黒いスーツが多いのは今のはやり?
朝から受け付けに列ができる
8時45分から10時半までは私の持ち時間。
社会人になるということ、リアリティショックのことをまず話した。
病院の概要や看護部の概要を説明したりしていると
時間はあっという間に過ぎる。
これからじっくり話をすればいいのだと思うが、
そういう機会が頻繁にあるわけではないと思うと、
ついつい話したいことが盛りだくさんになる。
一番いいたいメッセージを最後にスライドにしたが、
その中でも、最後の2つは強調した。
●多くの時間を聖隷浜松病院で過ごすのだから、納得のいく時間を過ごしてほしい。
そのための支援をしていく。
●何があってもあなたは一人ではないということを覚えておいてほしい。
聖隷浜松病院の一員なのだから。
心から、ようこそ聖隷浜松病院にという思いをこめて。
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全員合格!
次年度採用の看護職員、全員仕事に必要な国家試験合格が判明。
さっそく、院長と事務長に報告。
電話の向こうで一緒に喜んでくださっている様子が伝わって嬉しい。
それから、現場で待っている看護課長たちに報告。
メールの向う側の様子はわからないけど、きっと嬉々とした返事が
続々とくるだろう。
天気もいい。
気分もいい。
朝からいい感じです。
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国家試験の発表日
本日、3月26日。
私の手帳には、「2時。国家試験発表!」と目立つ字で書かれてある。
発表時間を朝からどきどきしながら待つ。
昨年までは大学で就職担当委員をしていた。
2時前になると学生課に行き、
学生課総出で厚労省のホームページにアクセスするのを手伝い、
アクセスできたら、
それーとばかりに印刷をして学生の名前と受験番号の照合に奔走したものだ。
今年は、新人を迎える側になり、なすすべがない。
ひたすら就職予定者や送り出してくれる学校からの連絡を待つ身。
落ちていたら、午後5時までに病院に来ることという通知をしていたのだが、
5時を回っても病院に現われる人はゼロ。
ということは、全員合格か。安堵していいのか。
現在、午後8時37分。
今、また一人連絡があった。助産師合格だという。
よしっ。
89名からの連絡を待ち、あと2人。
なんとか全員無事に通っていてほしい。
当院の看護をさらに充実させる仲間として職員がみんな待っている。
少しでもよいケアを受けたいと思っている患者さんも待っている。
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「はたらきたい。」
(ほぼ日刊イトイ新聞)ほぼ日ブックス, 2008
糸井重里が主宰しているほぼ日刊イトイ新聞に掲載された
特集企画「ほぼ日の就職論」が本書のおおもと。
就職って何なんだろう。
働くってどういうことなんだろう。
そんなことを、
「人」の生き方を専門に仕事をしている人たちと、糸井氏との対話から読み解いていく内容。
ところどころ、「みうらじゅんに訊け!」というコラムが挿入されていて楽しい。
「はたらくこと」とは、「大切にしてきたもの」を考えることに他ならない(p.10)
という言葉がやけに胸に響く。
(2008年3月25日)
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「職業としての政治」
(マックス・ヴェーバー著、脇圭平訳) 岩波文庫 1980年
1919年にマックス・ヴェーバーが学生団体のために行った講演内容。
薄い本だが、内容は濃い。
特に、政治と倫理の関係についての件は、何度も読み返した。
私は政治家ではないが、
今のポジションにおいて、何のために、誰のために毎日の仕事をしているのかを考えるとき
非常に考えさせられるものがあった。
●倫理的に方向づけられたすべての行為は、「心情倫理」と「責任倫理」という2つの準則の下にある。
「心情倫理」に重きをおく場合には、純粋な行為を行うことが前提であり、その結果が悪くても行為者の責任ではいと考える。
他方、「責任倫理」に重きをおく場合には、人間のいたらなさを計算した上で行為の結果が予見できる場合には、その結果責任を他人に転嫁してはならないと考える。(p.89)
●両者は、対立するわけではないが両立は難しい。
●ところで、善い目的を達成するためでも、道徳的には危険な手段を用いることがある。それを正当化できるとは限らない。(p.91)
●だから、職業として政治を行おうとする者は、このような倫理的パラドクスの圧力の下で、自分自身がどうなるかという問題に対する責任を忘れてはならない。(p.99)
●政治には権力が不可欠であり、「暴力」を手段に問題の解決をはかることがある。
●そのため、結果に対する責任を痛切に感じて責任倫理に従った行動をとり、「こうするより他はない。私はここに踏みとどまる」という方が、ロマンチックな感情に酔いしれる「心情倫理」よりも成熟していると考える(p.103)
●自分が世間に対して捧げようとするものに比べて、現実の世の中がどんなに愚かで卑俗であっても、断じてくじけない人間だけが、政治への「天職」を持つ。(p.105-106)
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平成20年4月の予定
2008年 4月の予定
4月13日(日)
スザンヌ・ゴードン / シオバン・ネルソン 特別講演「看護の危機」 座長 京都会館
4月14日(月)
「看護師と患者を傷つけるもの Undermine Nurses and Patient Care」 座談会 東京
○企画:ライフサポート社
○司会:井部俊子
○出席予定者:
スザンヌ・ゴードン、シオバン・ネルソン
川島みどり、陣田泰子、田村やよひ、東めぐみ、勝原裕美子
大熊由紀子(ジャーナリスト)、隈本邦彦(ジャーナリスト)、梶本章(朝日新聞論説委員)
中村秀一(厚生労働省社会・援護局局長)、
○取材;熊谷冨祐(NHKBSフリーディレクター)、
4月18日(金)
茨城医療福祉労組連絡会議 講演
4月22日(火)
聖隷クリストファー大学大学院「看護管理特論」講義
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サンフランシスコの友人
先日、UCSF( カリフォルニア州立大学サンフランシスコ校)の副学長のScott Ziehm博士に会った。
Scottは、私が1998年に3ヶ月間UCSFに international student として
在学していたときの指導者。
彼の厚いサポートにより、2ヶ月弱の間にベイエリアの医療施設の看護管理者24名に対し、
米国医療の問題点、看護管理者の役割と挑戦課題についてヒヤリングすることができた。
その体験はかなり強烈で、
その後の私の教育・研究活動、そして現在の管理者としての視点に強い影響を与えている。
論文は、少し古いが、次のとおり。
(勝原裕美子「米国看護管理者の新たな役割と挑戦課題」病院管理,10, 335-341, 2000)
ところで、再会の目的は、
6月にアメリカに行き、マグネット施設について研修を受けたり視察したりするにあたり、
コネクションを得ること。
要件をメールをしたら、もうすぐプライベートで日本に行くので
そのときに話をつめよう!と提案してくれた。
こんなにありがたい提案はない。
久方ぶりの再会だが、さっさと話は進み、
すでにマグネットの施設認定を受けているStanford大学医療センターと、
これからマグネット取得をめざそうとしているUCSF医療センターとに連絡をし、
それぞれの看護担当者を紹介してくれるという。
感謝。
国を超えても、こうやってアミーゴレベルで支えてくれる人がいることに、
本当に感謝。
ランチに「串揚げを食べたい」というので、ごちそうしようとしたら、
不覚にも、ちょっと席を立っている間に支払ってくれていた。
申し訳ない。しかも円高なのに・・・
サンフランシスコに行くときには、たくさんのお土産を持って行こう!
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ドルでの買い物
こうも円が高騰し、株価が不安定だと、
金融市場はどうなってしまうのかと不安になる。
新聞をながめては、えらいことだと思う毎日。
ただ、この際、がばっと洋書を買おうかと
インターネットをチェックしたのだが、
こういうときに限って、欲しいと思う本がすぐにはみつからない。
そうこうするうちに、今朝のニュースでは円安になってきたという。
ああ、よかったとほっとするものの、買い物し損ねた変な気分。
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思いがけない宅急便
神戸の友人から、イカナゴの釘煮が送られてきた。
わおー。
「お気に入りの器に盛り付けてみました」
神戸・播磨地方でこの時期だけ家庭で作られる釘煮。
大阪育ちの私も、神戸に住むまでは知らなかったのだが、
明石で仕事をしていたときには、この時期、誰か彼かと釘煮を持ってくるので、
お昼時に皆でつついて食べたものだ。
今年はうまくできたとか、今年はたくさん作りすぎたとか、
毎年必ずもってきてくれる人からの自己評価をききながら、
どれどれと味わうのが楽しかった。
これが食卓に現れると、ああ、春がきたんだなあと感じたものだ。
生姜のきいたなつかしい味に、白ご飯が何杯でもすすんでしまいます。
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他院見学
古い建物を壊し、新棟を建築するプロジェクトが立ち上がっている。
今日は、横浜にある済生会横浜市東部病院を見学させていただき、
新棟建築の参考にさせていただいた。
職員食堂あったらいいなあ。
機能的な会議室あったらいいなあ。
看護師長が集まる部屋があったらいいなあ。
スキル・トレーニングルームがあったらいいなあ。
24時間営業のコンビニあったらいいなあ。
こんなんあったらいいなあと、
院内でずっと論議しているハードがほとんど揃っている病院だった。
すばらしい。
特に感動したのは、
とにかく、物品が廊下等にまったく置かれていないこと。
患者の目に触れることのないバックヤードの廊下まで何も物品が置かれず、
きれいに整理整頓されている。
「職員用通路もこのとおり。何も置かれていない」
「とても丁寧に、隅々までご案内いただきました。」
当院は、主にソフト面で見学の絶えない病院。
それはすごいと思っています。
でも、将来的には、この病院のようにハードも自慢できる病院になりたい。
見学させていただいた一堂、皆がそうのように思えるくらい、すばらしい病院でした。
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号泣あり笑いあり
看護部課長会の送別会でした。
29年、25年、21年の歳月を聖隷浜松病院で過ごしてきた3人の次長・課長が
聖隷事業団内の他施設に請われて転出していきます。
3人が、それぞれどれだけ周囲の人たちの信望を得ていたのか
どんなに素晴らしい働きをしていたのかが、
送る側、送られる側のスピーチににじみ出ていました。
ジーンとくる瞬間が何度も何度もありました。
「号泣と大笑いの前のシーン」
そして、お馴染み、課長会といえば出し物。
どこで、いつ練習しているのやら・・・・・この後、手を引かれ、私も前に出て一緒に踊ることになりました。
ちゃんと足上がっていたよ。と、フロアーからの評価を得ました。
最後は笑顔で、お疲れ様。これからもどうぞよろしくお願いします。
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卒業式は節目
聖隷クリストファー大学の卒業証書・学位授与式・修了式にご招待いただいた。
また、その後に続く卒業パーティにもお招きいただきた。
思えば、昨年度までは送り出す側だった。
大学・大学院を巣立つ学生たちに、
「これからいろいろあると思うけど、どうか元気で過ごしてほしい。
それでも、何かあったら、いつでも母校に帰ってきたらいいんだからね。」
という気持ちで送り出していた。
今年度からは、向かえる側になった。
きっと、列席されている先生方は、去年の私と同じ思いでいらっしゃるのだろうなと思いながら、
後を引き受けることに、身が引き締まる思いがした。
卒業パーティには、700-800名が集っていた。
スクリーンには映画さながらの記録映像が流れ、
まばゆいばかりの学生さんたちの姿が会場にあふれていた。
当院の元職員の萩さんと、休職して大学院で学んで 4月から当院に仲間入りしてくれる松井さんと
いた松本さん。そこへ、小島学長がいつの間にやら。 小林さん。よろしくお願いしますね。
大学院修了生の皆さんと 助産学専攻科を修了した 堀内専務理事・学長とスリーショット
兵庫県立大学での教え子
ブラスバンドやハンドベルなどの催しもいっぱい
「次」の一歩が、「今まで」によって支えられていることをこの節目によって心に刻み、
その節目のときを多くの人と祝うのは、本当に素晴らしいことだ。
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『問題解決のための「社会技術」 -分野を超えた知の協働-』
(堀井秀之)中公新書, 2004
問題解決に関する本は今までも読んできたが、
本書は、副題がいい。
「分野を超えた知の協働」
ある種の問題に対する専門家の意見、専門的な見解というのは大事だが、
専門の視点だけから現象をみていると、行き詰まったり堂々巡りになったりすることがある。
でも、たとえば医療事故という問題を
医療の専門家だけでなく、
心理学者や交通安全の専門家などと共に考えると、世界がぐっと広がっていく。
社会技術研究は、
a 問題解決型であり、
b 特定の専門領域に囚われない俯瞰的(ふかんてき)研究である という特徴を持つ(p.59)。
多様な価値観を持つ個・集団が同じ社会に生きているのだから、
それらの智恵を結集して、社会の動きが知的にまわれば、本当に理想的だと思う。
(2008年3月11日)
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「怒りの心理学 -怒りとうまくつきあうための理論と方法-」
(湯川進太郎編)有斐閣、2008年
編著者の湯川先生とは、数年前に「抑制開示研究会」で知り合った。
抑制しなきゃいけないと思い込んでいる気持ちを、筆記や話すことを通して開示することで、ストレスが減り、心身の健康につながるということをPennebakerという学者が「オープニングアップ―秘密の告白と心身の健康白」(余語真夫訳,北大路書房,2000)で記している。
その本を読んで、これは絶対ナースの支援に必要な考え方だと思った私は、
訳者の余語先生に連絡をとり、すぐに会いに出かけた。
そこで紹介されたのが、先の研究会。
この研究会では、湯川先生、余語先生他、同世代の4人のスマートな心理学者たちが、それぞれの研究室の大学院生たちとネットワークを築き、すばらしい研究を次々と世に出している。
その一人の湯川先生が、自著を送って下さった。
怒りには男女差がないとか、怒りの表出行動のひとつである「遠まわし」に言うのは日本文化独自のものだといった内容は、非常に身近なことである。
学術書とは言いながらも文章が平易なことも相俟って、とてもおもしろく、一気に読み進めた。
後半には、怒りのコントロール法も載っている。
激しやすいタイプの人や、周りにそういう人がいる人には絶対に参考になる本だ。
(2008年3月7日)
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舞台と同窓会の掛け持ち
小唄・三味線の舞台の日だった。
今回唄わせていただいたのは、文楽の中でも有名な酒屋のシーン
「いつしか 更けて 木枯らしの・・・」
お師匠様が文楽好きの私にと、唄わせて下さった。
音程の上がり下がりが極端な上に、
半音上がったり下がったりという微妙な節回しが難しい唄だ。
「今頃は、半七さあん・・・」
昨年、文楽公演でみたばかりなので
情景が頭をよぎる・・・
はずなのですが、必死で唄っているのでそれどころではありませんでした。
もう、精一杯。
唄い終わるとぐったりだった。
さて、会の途中で許可をいただいて中座し、
数十年ぶりの中学校の同窓会にかけつけた。
舞台に出るいでたちで参上したものだから、
「看護師では食べていけなくなったのか?」と聞かれる始末。
それでも、もう、数十年も会っていない同級生の何人もから
「ときどき、ブログ見てるよ」と言われたのは嬉しかった。
そういうつながり方もあるのだなあと思った。
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看護部管理室模様替え
機能的とは言えなかった管理室内のレイアウトが一新。
机や戸棚も新しくなり、すっかりオフィス様に変身。
数日前から、次長たちは、ためにためた書類の処分にてんやわんやだったが、
新しくなるというのでどこか楽しそうだった。
「備品も気持ちも新しくなり、仕事量も倍増ですね」
と、いらん発言をしてしまうのは、総看護部長の性としてお許しください。
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プリセプター研修
4月には、90名近い新卒ナースが当院に加わってくれる。
その準備が、すでに様々に行われている。
今日は、17時半から19時までプリセプター予定者たちの研修があった。
目的は、プリセプターの役割が理解できることと、新卒看護職員の背景を理解できることの2点。
当院看護部のプリセプターシップ制度の考え方を担当次長が紹介した後、グループワーク。
主に、プリセプターになる不安が表出され、それに対して自分たちがプリセプティだったときのことを思い出して対応を考えたり、プリセプター経験者がこれまでの取り組みを紹介したりしていた。
グループワークの発表を聞きながら、
新卒を迎え入れるために一生懸命研修に取り組んでくれている職員に感謝した。
そして、プリセプターシップというのは新人を支える一つの方法であって、
結局は、職場全体、看護部全体、病院全体で育てているということを職員全体が理解していないと、この方法も機能しないということを改めて感じた。
当院には、教育を「共育」ととらえる文化がある。
育てることで自分も育てられる。
その文化をしっかり守っていけば、
新卒と一緒に先輩看護師も育ってくれるはずである。
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「はじめてのインド哲学」
(立川武蔵著) 講談社現代新書、1992年
明石から浜松に戻るまでの間、ずっと読んでいた。
残り50ページは、先ほど家で読み終えた。
「はじめての・・・」というタイトルが嬉しくて昨日買ったのだが、
きちんと読むと非常に深く、実は一気に読むような本ではない。
それでも、一気に読まなければ、ますます複雑でわかりにくくなりそうだったから、一気に読んだ。
インド精神史を遡り、紀元前2500年から現在までの6つの時期に分け、時期ごとに展開された思想をわかりやすく解説した本である。
インド精神においては、
世界を超越するイエス・キリストのような(創造)神はもたず、世界の中に神を求めるか、世界そのものを神だととらえる(P.28)。
個と全体は同一のものと考えられるているので、私と世界(宇宙)も同一視される。
そして、その世界に聖なる価値を与えようとしている。
わからないようで、わかる。
わかったようで、わからない。
でも、わかりたいと思うのは、
結局、自分が世界とは何かということをこれまで考えてこなかったからだと思う。
(2008年3月3日)
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「会社人間、社会に生きる」
(福原義春著) 中公新書、2001
もちろんお会いしたことはないが、一度はお目にかかってみたいと思う人の一人が、
著者の福原さんだ。
社長をされていたときには、もちろん新聞や雑誌でしょっちゅうお名前とご活躍ぶりが報じれれていた。
日本経営倫理学会の会報でもよくお名前を拝見するのだが、なぜだろうと思っていたが、本書を読んで、
その生い立ちから「倫理観」が常に大切にされた環境にいらしたことがわかった。
社長になるまでの社内での歩み、社長になられてからの10年間のリーダーシップのありようが、実によくわかる。
今の私には、たくさんの教示をいただけた感謝すべき本だ。
(2008年3月3日)